自分が医薬翻訳者になるまで

大学は文系出身、大学卒業後もまったく関係のない仕事をしていた私が、どうやって医薬翻訳者になったのか。その経歴です。

家庭の事情

大学卒業後、海外に出張の多い仕事をしていた私は、出産後の育児休暇中に大きな転換期を迎えました。

育児休暇を終えても、1カ月20日以上海外に出かける仕事に復帰できるかどうか悩んでいました。自分や夫の両親に頼れる体制はまったくなく、育児のサポート体制がありませんでした。また生後1歳過ぎてまもなく、子供が喘息で入院。その後しばらくして、また入院。ときにはそれに肺炎を併発したり、親として生きた心地がしないほどでした。

「在宅でする仕事しかない」

必然的にそうなりました。自分が子供のそばにいることができ、緊急事態に対処できるようにするには、それしか手段はありませんでした。

転職

在宅でできる仕事を考えると英語を生かした翻訳しかありませんでした。

最初のころは無名の翻訳会社に登録し、ほそぼそと英和の仕事を受けていました。しかし専門分野がないため、受注する仕事は毎回、アトランダムで、多分野にわたり、それぞれが単発で、積み上げて蓄積できるものはほとんどありませんでした。手紙文や、海外からの顧客が来日した際の取り決めなど、ばらばらの内容です。それもコンスタントに来るわけでもありません。あきらめようとした、その時です。

郵便ポストに入っていた無料の地域新聞に小さな求人広告をみつけました。医薬翻訳会社が校正・編集のアルバイトを募集していたのです。

子供もなんとか体力もつき3歳になり保育園に預けることができ、その会社が自転車で通える距離だったため、すぐさま応募。幸運にも採用され、その会社に勤めることになりました。そこで和文から仕上がってきた翻訳者さんの医薬関連の英訳された文書を校正する毎日が始まりました。

吸収の日々

そこからは嬉しくてたまらない毎日でした。日本語の原稿と英訳文を見比べて、正確な翻訳ができているかチェックする仕事です。自分の知らなかった単語、用語をどんどん書きとめ、ノートが1冊、2冊と増えていく状態でした。

そのうち、これなら、自分で英訳できると確信が芽生えました。業界の文献にそれほど多く触れると、おのずと身につくものがあります。

まだパソコンを使うこと自体が珍しかった頃でしたが、友人から譲り受けた中古のパソコンで、在宅で仕事を始めました。必要な辞書や資料は、会社にあったのと同じものを自分でも購入したり、高価で容易に買えない本などは、代わりに会社にお願いして調べてもらったりしました。必死に、がむしゃらに頑張りました。

時には社長から「こんな苦情が来ました」と知らせを受けたこともありました。しかし「また、クライアントさんがご指名です。このあいだの続きをお願いします」とリピートを受けたときは、本当に喜びで満たされました。

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